慶長8年(1603)、森蘭丸の弟・忠政が美作に移り、津山城を築きます。
忠政の実子は、早世したため、忠政の外孫である長継が養子となりました。
長継の嫡男・忠継は早世、忠継の子・森長成は幼いため、五男・長武に家督と継いで隠居をします。
貞享3年(1686)、長武は長成に家督を譲り隠居、しかし長成の子が早世したため、長継は九男・関衆利(弟関衆之の養子になっていた)を後継として幕府に認めてもらうための江戸へ向かう途中、衆利は伊勢で病気になりました。
幕府は津山の領地を召し上げ、津山藩森氏は改易となるのです。
しかし、幕府は長継に新たに、備中西江原藩を与え、森氏の存続を許したのが西荏原陣屋なのです。
『参考文献を参照』
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