妹尾陣屋
岡山県岡山市妹尾

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  岡山バイパス、「妹尾西交差点」から151号線を南へ、まもなく152号線を東へ走ると妹尾陣屋(せのお)です。

2005年6月、梅雨だというのに近畿は雨が少ないよ。 撫川、庭瀬、早島そして妹尾、戸川氏の街はいくつあるのかな。

 
  「戸川陣屋井戸」

妹尾陣屋にあった井戸、陣屋が廃止された後も飲料水の不足に悩む土地の人々が利用してきました。

6月、関西では雨が降らないよ、井戸には水があるのかな。
 

 
平安末期、橘兼門が瀬尾ノ郷(妹尾・高雄・山田・妹尾崎・大内田)を開発し、妹尾氏と名乗りました。  保元・平治の乱の時、源義朝に味方したため抹殺、妹・保子が鳥羽院に宮仕えして、一児をもうけました。

その子は平清盛に育てられ、後に瀬尾太郎兼康と名乗り、妹尾の繁栄の基礎をつくり功績を残したのですが、後年源氏に反逆し、父子ともに板倉・轟橋にて討死しました。

慶長4年(1599)、宇喜多直家の家臣であった戸川達安(みちやす)は、宇喜多家の騒動の時に主家から離れて家康に付き、関ケ原の合戦の功績により備中庭瀬城を構えました。

寛永8年(1631)、達安の次男・安尤(やすもと)は早島陣屋に入り、以来十三代・安宅まで続いています。

本家庭瀬藩では戸川達安の孫・安宜の時、弟の安成に分知したのが妹尾陣屋で、四代・安風の時に弟の達富与えたのが撫川城です。

安風が早世したため、本家絶家となりましたが、早島、撫川、帯江、妹尾、中島に知行所(領地)を置いて明治維新を迎えるのです。

『参考文献を参照』

 

  
盛隆寺の菩提樹
 

「盛隆寺の菩提樹」

街の西にある公民館で「ふるさとマップせのお」をいただいた、いきなり車で街中へは難しいよ。 広い所で駐車、歩くと御前神社、更に東の盛隆寺だよ。

二千五百年前のネパール、その国にあった釈迦国の王子として、ルンビニー園で誕生されました。

お釈迦さまは29歳で出家し、修行をかさねて宇宙の真理をインド・ブッダガヤの樹下でさとられたのです。

 
戸川家の墓
  菩提樹の葉から花が咲いてる、ここはお寺の裏手、戸川家の墓だよ。

お墓の木戸の入口側、そして正面には戸川家代々のお墓が並んでいるよ。

この反対側にも祀られてる、写真の一番手前のお墓には「正安」とある、達安の子だね。
 

  
つちえの井戸
 

「つちえの井戸」

盛隆寺から北へ歩くと大きな井戸、有馬温泉でも同じような形をみたよ。

妹尾はかつては海岸に近く、平地でも塩水が湧いていたため、飲料水は山側の限られた井戸から求めていました。

この井戸は良水が湧く共同井戸で、水桶を車に積んで町内を売り歩く姿が見られたとある。

 
栗村神社
  「栗村神社」

少し北へ登ると神社、「和田ノ宮」とも呼ばれ、吉備津宮七十二末社の一つです。

吉備津彦の宿将・和田叔奈磨(しゅくなまろ:妹尾叔奈麻呂)は、早島の海賊を討った人物で、ここが新居跡と云われています。

中に入る、右側の山の斜面には大きな石が転がっている。 ほんと山城で見かける雰囲気だよ。
 

  
州浜城はどこかな
  「州浜城はどこかな」

南に戻ると小学校、「大正井戸」、「地と水の神の碑」そして「かねつき堂」から東へ行くと「戸川陣屋井戸」だよ。

また北の山へ登る、稲荷神社、途中で普通の家の井戸も見る。

須浜城や妹尾城と呼ばれる城跡、妹尾太郎兼康が築城し、石垣もあるらしい。 いつ通り過ぎたのかな、見たかったなぁ。
 

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