新庄山城
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岡山県岡山市竹原
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吉井川を越えて250号線に入ります。 そこから1.5kmほど西の「東平島」交差点を南へ800m、楢原郵便局の道を西へ行くとすぐ「三徳園」や「小鳥の森の公園」があります。
この公園の南にある標高130mの山頂には新庄山城(しんじょう)があります。
2003年5月、砥石城から落ち流れた宇喜多直家、そして岡山城主まで登りつめた人生、あまりにも強さゆえに、ここ新庄山は苦悩と悲しみを詰め込んだ城跡なのです。
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直家が20代の頃を、ここで過ごしました。 戦国の世、妻の父を討てば、妻が自害することは知っているはず。
討たねば、謀反と見なされる世のつらさ、想像以上の苦悩があったはず。
たった500年前の日本での出来事です。 |
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亀山城主中山備中守信正の臣・新庄助之進の居城であったと伝えられています。
山頂に石鉄神社があり、新庄助之進と伊予前神寺の分霊を祀っています。
もと奈良辺山と称されていましたが、助之進が守るようになって新庄山と呼ばれるようになったと云われています。
室町時代後期の天文十七年、浦上宗景が攻めて焼失し、近年まで点々と焼麦が出土したという。
翌年三月宇喜多直家は、浦上宗景の命により、砥石城の浮田大和守を打ち敗った恩賞として奈良辺の城を賜わり乙子城よりここに移りました。
在城十年31歳の時、主命により中山備中守と島村豊後守を同時に討ち、その功により亀山城を賜り同城に移りました。
『現地案内を参照』
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「新庄山手前の橋」
この橋の手前では、行楽のお弁当、テニスとゴルフの練習で汗を流す人が楽しんでいます。
橋を渡り、そして鳥居をくぐりぬけ、過去の情景へと入っていくのです。 |
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「新庄山の本丸跡」
石鉄神社があり、新庄助之進と伊予前神寺の分霊が祀られています。
神社の後ろから見える風景の中に、妻の里(沼城)が映ります。
同じ場所で、妻は命を絶つ前に2人の子供を抱き締めたはずです。
戦いの時代、沼城はどう映っていたのだろう。 |
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「新庄山」
山を降り、橋を渡った時、一人山頂から見た情景とはまったく違う日本の現在に戻ってきました。 |
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