周匝 茶臼山城
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岡山県赤磐市周匝(すさい)
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山陽自動車道、「和気IC」を降りてから国道374号線を吉井川に沿って北上します。 途中の天神山城を越えてそのまま8kmほど走ると吉井川と東部から流れ込む吉野川が合流するところがあります。
この合流地点は備前国と美作国の国境の要衝で、西側の標高174mの山頂には周匝茶臼山城(すさいちゃうすやま)があります。
2003年5月、今では「歴史とロマンの里づくり」、街のシンボルになっています。
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ここから南は、吉井川と周匝平野、北には飯岡平野が広がり、そしてはるか北方には中国山脈も眺望することができます。
城郭の形態は連立式で、二つの尾根上(茶臼山城と大仙山城)に延長800mにわたって土塁と削り出しによって構築されています。
東側には「一の曲輪」「二の曲輪」そして大きな「井戸」があります。
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岡山県立備作高等学校の背後にそびえる茶臼山(標高約180m)の上に在り、前は吉井川に沿える周匝平野、後は津山川を隔てて飯岡平野を望み、景観は非常に勝れています。
本丸は東南に向って広い楕円形をなし、二の丸はその西続きの山頂に、砦は津山川に臨む大仙山の上に在り、他に出丸・太鼓丸・空堀・井戸・小池・土塁などの跡が遺り、当時として相当の防備を持つ代表的な山城でした。
戦国の昔、安芸の国より来た佐佐部亦二郎が改築を行い、天神山城主・浦上宗景に属して勢を振ったが、子の勘斎貞利に至り、宗景を滅ぼした宇喜多直家方の延原弾正を撃ち破ったことにより、天正七年三月直家に攻められて、城と運命を共にしたのです。
なお津山川に面した一ノ谷には勘斎の子の千千代の墓があります。
『現地案内を参照』
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「空堀体験コース」
上から下まで100mもある急な空堀です。(すごく急斜面です)
遠足では子供達がワイワイ言いながら登っているのでしょうね。
私たち大人は、このような急な坂や石の階段に出くわすと、布団を巻いて転がる練習を思い出してしまいますね。 |
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「大型竪穴遺構」
わらぶきの建物が2つあります。 もう一つは「休息所」になっています。 縁に座って天守を眺めていると、思わず口ずさんでしまいます。
「吉井詩情」の歌碑より
今日を流して 吉井の川は
人の心を 明日へ運ぶ
めぐる季節に ふと口ずさむ
歌も優しい 吉井の郷よ
とてもいい詩です。 |
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「音」
竹のふたをはずして静かに耳をあててみてください。 それは言葉では表現できない「音」。 小さい頃、家のどこかで聞いたような「音」なのです。 |
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「池田家代々の墓所 」
「空の塚」と呼ばれ、周匝池田家の初代・長政から七代までの塚があります。
江戸時代、備前池田藩が周匝に一族の池田伊賀守長明(二代)を配置し、周匝陣屋として統治しました。
池田家は織田信長の家臣・恒興、姫路城主・輝政をはじめ鳥取や岡山に沢山の池田氏が見受けられます。
一つの墓を写真に撮っては、車で数十m移動、降りて撮っては移動。 横着は疲れますよ。 |
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