高取山城
岡山県瀬戸内市邑久町東谷・ 岡山市長沼

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岡山ブルーライン「邑久IC」から224号線を西へ、尾張から南へ走ると付きあたりには砥石城、山麓の道を1.5km西へ進むと標高163m(比高160m)の山頂には、高取山城(たかとり)があります。

2008年12月、備前は久しぶり。 山城、久しぶりにドキドキしたよ。

 
  山城、やっぱり緊張するよ。

どこから登るのか、すぐに分かる、ドキドキに反して足が進む。

ここは浦上氏に仕えた島村氏のお城だ。

久しぶりの浦上氏、これだけでも緊張するんだよ。
 

 
高取山は千町平野の西寄りに位置し、吉井川下流両岸平野の見通しがきき、砥石山と同様に豊原荘の一角を拠点にする名主層が山城を構えるのには格好の地である。

城の経歴は、備前守護代・浦上氏の重臣の高取氏が居城したとの伝承があるが、築城期が定かでなく、その後、千町平野南部を拠点に島村氏が居城したと推定され、応仁年間(1467-69)には備前守護代・浦上氏に仕える島村氏の名がみえます。

備前軍記によれば、享禄四年(1531)に浦上村宗の重臣として、高取城主・島村弾正左衛門貴則の名もあり、島村氏は代々この城を居城に浦上氏に仕えていたと考えられました。

貴則の子豊後守は、天文三年(1534)この地域を基盤に国人化していた宇喜多能家を砥石城に攻め滅ぼし、浦上氏配下の国人に成長しました。

しかし、島村豊後守も永禄二年(1559)に宇喜多直家に謀殺され、居城も攻略されたのです。

高取山城の城郭構造は頂部に楕円形の本丸を構え、主峰側と平野に延びる主尾根側に腰曲輪を備え、両山腹にも腰曲輪や犬走りの段を設けて本丸周辺に輪郭的な構造をとっています。

一方、主尾根先に大型の二の丸に比定できる曲輪を構え、また頂部から東に分かれた支尾根に三の丸に比定できる先端に一段の郭を伴う曲輪を構え、尾根筋には連郭的な様相で郭を配置しています。

頂部から三方に延びた尾根には郭の先端に堀り切りを設けて切断しています。

水の手は、本城城郭内には井戸や池などの利水施設が確認されていませんが、本丸の西と南中腹に井戸が計三か所存在しています。

『現地案内を参照』

 

  
  「3の井戸」

集落の中を南へ歩く、お墓から標識に従ってつづれ折りを登る。

半分でまっすぐな山道に変わる、着くのは三ノ丸、井戸がある。

足がすべりそうに降りる、見てまた上る。
 
  「二の丸」

途中、一の井戸はロープで降りる、大きい。

すべりながら上り風景を見る、東に砥石城、宇喜多氏の菩提寺がある。

浦上氏、宇喜多氏、島村氏、備前は探索を始めた頃の山城。

のめり込み、人に語り、ここから始まる城跡探索。

そんな山城の一つ、緊張しない訳がないよ。
 

城跡探索