徳倉城
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岡山県岡山市御津町河内
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山陽自動車道、「岡山IC]を降りて国道53号線を北上し、旭川と合流してから2kmほどで走ると「宇垣交差点」があります。 そこから県道61号線(妹尾三津線)を西へ3kmほど行くと、南側の標高232m(比高170m)遠藤山の山頂には徳倉城(とくら)があります。
100城を通過したけど、まだまだ行くよ。 「迷っても行くよ。」初心に返って、気合を入れた城跡なのです。
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「本丸の石垣」です。
ところどころ石が崩れ、この自然さに威圧感が溢れています。 |
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築城の始めははっきりしませんが、太平記によれば高師秀康安2年(1362)守城とあります。
戦国時代、松田一族・宇垣氏の居城となり、松田氏亡んで遠藤河内守が居城したが関ヶ原合戦後廃城となりました。
天守郭の石垣他たくさんの遺構があります。
「現地案内を参照」
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「登山口の竹林」
県道沿いに「大手道の登山口」があります。 そこに徳倉城跡の案内板があるので、すぐにわかると思います。
やさしい目をした地元の方が、「気をつけて」と言ってくれました。
気をつけると言うより、もう大変です。 やさしい目でお誘いした方がよかったです。 |
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「やはりだめか」
普通、半分も登れば視界が広がるのに、これからが本番みたい。
ちょっと、迷った。 もうどうでもいい、行ってしまえ。
こんな中を数分ばかり、胸から下は草で足は見えないよ。 小走りで進んだから、ヘビ君の2,3本は蹴っていたかもしれない。 |
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「なんとか長曲輪跡」
草から出た時、「矢印の標識」がありました。 緊張が消え、うれしさのあまりに、ここでへたり込んでしまいました。
お茶をして、来た方向を見ると道がよくわからないです。
とにかく、写真。 もう少し後ろから撮りたいけど、後ろは谷になっていてこれ以上はさがれない。 見た目より広い所だよ。 |
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「天守の井戸」
長曲輪跡から山頂に向かって数分。 あったよ井戸、中には水が溜まっている。
もう少し前へ行きたいが、もし定期入れを落としたら、また免許更新に行かなくてと思い、少し後ろで撮影。 (こんなところで足がジンジンするはずがないのだが・)
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「すごいね石垣」
登山道の最後に現れます。 すごいよね。 まさに「石垣だけが残っている」だね。 見れてよかった。
史跡調査って、どうやるんだろう。 一つづつ石垣をはずして、土の中まで発掘して、もとに戻すのかな。
刑事さんの指紋採集する時の筆みたいなものを持って、真剣な顔をして発掘しながら隣の人をこそばしてみたり、ほんとやってみたいね。 |
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「妙見宮」
山頂には、瓦ブキで壁が無くて、けっこうな大きさの建物があったよ。 全体が曲がっていて、台風で飛びそうだけど、何する所なのかな。
あまり関係ない話だけど、掌のシワを合わせることを「シアワセ」、フシがある方を合わせることを「フシアワセ」と言うらしい。
また、何かの機会のネタにしてね。 急に思い出したから。 |
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「搦め手側の道」
山頂から反対側に降りてみました。 すごくいい道。
最初からこの道を登ればよかったけど、もしこの道を登っていたら、妙見宮と瓦の建物だけを見て帰っていたよ。
危ないところであった。 |
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「徳蔵神社」
古事記に登場する天児屋根命(あめのこやねのみこと)が祀られています。 天岩戸に天照大神が岩戸に籠もられた時、その前で祝詞を読まれた方ですよ。
この奥の境内に昇る階段の下に、「徳倉城主・宇垣一郎兵衛供養塔」があります。
大手口の登山道は国道沿いで、搦め手道は右手奥だよ。 でも冬なら大手口道から搦め手道へのコースがいいよ。(本コース) |
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「金木犀」
秋の香りはキンモクセイだね。 この花は空気が悪いところでは育たないらしい。 だから、ここはとてもいい空気。
しかし、よく登ったものです。 後で考えると、あまり無茶はしないようにと反省もするよ。
進んだ方がいいのか、戻った方がいいのか。 その時にはわからないね。 心地よい道でも、足くじくこともあったしね。
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