為楽山城
|
大阪府豊能郡能勢町野間中
|
|
Top お城の一覧 探索一覧 写真一覧 |
|
|
中国自動車道、「中国池田IC」を出て北へ、国道173号で川西市を通り、477号線をひたすら北へ走ります。
兵庫県川西市との県境あたりには、標高633m妙見山のケーブル乗り場、山頂目指して歩くと、そこは為楽山城(いらくさん)です。
|
|
|
|
|
能勢の妙見さんで知られる妙見山、ここもお城だったんだ。
天正の頃、能勢頼次が築いた、でも秀吉に領地を取られてしまう。
お城を追われた頼次は、三宅助十郎と名を変え岡山妙性寺で身を潜めていました。
関ケ原や夏の陣で、家康に認められ、もとの領土を安堵され、ここに妙見堂を開基したんだね。 |
|
|
|
|
長元年間(1028-36)、源頼光の子・頼国がこの地に入り能勢氏と名乗り、北にある丸山城を築きました。
天正七年(1579)、信長が毛利氏攻めを始めた頃、ここ北摂津の部将たちは信長に従うのですが、能勢頼道は応じませんでした。
天正九年(1581)、頼道は塩川氏の山下城(兵庫県川西市)に招かれ、欺かれて命をとられると、弟・頼次が妙見宮の為楽山大空寺の跡に築いたのが為楽山城です。
天正十年(1582)、本能寺の変の時、光秀方に味方したことで秀吉に攻められ廃城となるのです。
『参考文献を参照』
|
|
|
|
|
|
|
「妙見山」
右へ行くと大阪池田、左は京都亀岡だよ。
前に見えるのが妙見山、麓にケーブル乗り場がある。
右には登山道、約2km、これがけっこうきついよ。 |
|
|
|
|
「登山道」
麓には石垣がいっぱい、何の跡かな。
雄滝行場を見てひたすら上る、若い人に追い越される、追い越されることに慣れたみたい。
ケーブルは途中まで、そこからはリフトだね。
ところで六月はサッカーで眠い眠い、日本のゴールは見れるかな。 |
|
|
|
|
|
「能勢妙見堂」
北側からは車でも登れる、駐車場にはヘリコプターが遊覧観光をしている。
能勢頼次の像を見ながら階段、見える風景は素晴らしい。
能勢家を再興した頼次は日乾上人と出会い、妙見大菩薩を祀ります。
近松門左衛門や勝海舟、坂田三吉も妙見大菩薩を深く信仰したそうです。 |
|
|
|
「ケーブル乗り場」
登りは沢山の人と一緒、でも下りの道では出会わない。
登った道も、下る道は早いね。
乗り場のベンチで休み汗を拭く、沢山の人がドアから出てくる。
抜かされてもいいんだ、ゴールまで歩くだけだよ。 |
|
|
|
|