正平年間(1346-69)、楠木正成の長男・正行(まさつら)が築いています。
のち天文年間(1532-54)には、細川晴賢が居城しました。
三好元長は細川晴元の家臣として武功を挙げるのですが、主君・晴元により堺で討たれるのです。
天文十八年(1549)、元長の子・長慶は晴元と敵対し、細川晴賢・三好政長の兵が柴島城で陣を構えると、長慶は柴島城とともに三津屋城を攻めました。
細川晴賢らは榎並城へ逃走すると、長慶がこの三津屋城に入りました。
元亀年間(1570-72)、信長の三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)攻めの時、廃城となるのです。
『参考文献を参照』
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