三宅城
大阪府松原市三宅中

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  阪和自動車道、「松原IC」で187号線を西へ1km、そして北へ500mほど走ると屯倉神社、ここが三宅城(みやけ)と云われています。

2006年1月は大阪のお城。 河内の国、この地も古代からの話が出てくるよ。

 
 

文献にはお城があった記述は見当たらないそうです。

でも南北朝時代の戦いの地、集落は周りを池や堀で囲んだ環濠集落でした。

また集落の南に土塁、屯倉神社の前にも堀があったと云われています。

 

 


垂仁天皇二十七年(紀元前2年)の頃、古代朝廷の米倉である「屯倉(みやけ)」という言葉が表れます。

ここ依綱郷には、十二代・景行天皇五十七年(127)の頃に屯倉が置かれ、周囲には堀が造られ兵で守りました。

しかし大化二年(646)、孝徳天皇の時に朝廷から政府の直轄となり、屯倉は廃止され、この地には屯倉神社が建てられたのです。

のち、この地は依綱から分かれて三宅郷となりました。

南北朝時代、河内は戦いに巻き込まれ、多くの豪族は砦を築き、環濠を造って集落を守りました。

天正の頃、信長の河内攻めで城は姿を消すことになるのです。

『参考文献を参照』

 

  
みかえり橋
  「みかえり橋」

神社の西へ回ると、天満宮の鳥居、菅原道真公が祀られています。

延喜二年(902)、道真公が九州の大宰府に遷される時、この地に立ち寄り、腰を掛けた石があるという。

少し入ると「みかえり橋」、離れても想う、という意味かな。

離れても想うこと、考えるとせつなくなるから、走って帰ろうかな。
 

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