三宅城は、丑寅二丁目・蔵垣内三丁目におよぶ小字「城之内」のあたりで、永正一年(1504)に三宅出羽守國政が築き、永正から大永・享禄・天文・弘治を経て、永禄五年(1562)までの五十八年間続いたとされています。
三宅氏の系図でみると、右京守政明・伊賀守清明・出羽守國政・美濃守國広・出羽守國村の名前があげられています。
その頃の城の範囲は、ほぼ東西596m・南北540mと推定されていおり、このなかのやや高まった場所に本丸があったといわれ、かなり立派なものだったと思われますが、くわしくは分かっていません。
しかし小字名に、「堀田」「蓮池」「大名寺池」と呼ばれる地名などがあり、この城のことを知る手がかりになっています。
『現地案内を参照』
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