堺奉行は江戸幕府の遠国奉行の一つです。 奉行所の位置は、現在の車之町東櫛屋町東両町の二丁から三丁にまたがる一帯に該当し、江戸時代には奉行屋敷、与力同心屋敷が立ち並んでいました。
奉行は、旗本のなかから選ばれ、堺の町内と港湾を管理し、町民の訴訟を処理することが仕事です。
その前身は、安土桃山時代から江戸時代のはじめに堺を支配した「堺政所」に求めることができます。
「堺政所」は、貞享年間(1684-87)頃、堺奉行と改称され、与力10騎、同心50人とともに堺の支配にあたったのです。
堺奉行所は、元禄9年(1696)、幕府の方針によって廃止され、大坂町奉行所が堺を管轄することになりました。
しかし元禄15年(1702)、には再興され、慶応3年(1867)まで堺の支配を行いました。
『現地案内を参照』
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