室町幕府の三代将軍・足利義満は、少年の義持に将軍職を譲って、五年目にあたる応永六年(1399)、堺港に進出してきた周防国の大内義弘を堺に攻めたとき、沢良宜城主・藤井三位は義持将軍から「御馬廻り免状」をもらい、家老職や郎党を従えて勇躍出陣したと伝えられています。
「御馬廻り衆」とは、いわば室町幕府直参の旗本で「応永記」は三千騎と記しています。
当時の沢良宜勢は、約三千坪の城(環濠の砦)を中心に、勝尾寺衆徒の中でも相当な力をもっていたようです。
この城(小字宮西)は、応仁の乱(1467-1477)の頃か、もう少し前の1400年代の早い時期になくなったと考えられています。
『現地案内を参照』
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