荒木村重に属していた中川清秀は、天正六年(1578)、村重が信長に背いて本願寺や毛利氏と結ぶと清秀は信長方に付いています。 天正十年(1582)、「本能寺の変」で信長は光秀の手により世を去ると、清秀は秀吉に属して「山崎の合戦」では光秀を破り功績をあげました。 天正十一年(1583)、秀吉と柴田勝家が戦う「賤ケ岳の合戦」で、佐久間盛政により討死をするのです。 『参考文献を参照』