永享年間(1429-41)、吹田重通が居城していました。
応仁元年(1467)、「応仁の乱」では三宅城・茨木城・芥川城とともに吹田城も東軍・細川勝元に属しています。
文明十四年(1482)、細川勝元の子・政元の時代には、吹田氏の一族・吹田時通が、守護代・薬師寺元長に付いていました。
大永六年(1526)、細川高国の家臣・香西元盛の夫人と、細川尹賢の夫人が口論となり、細川尹賢は香西元盛を殺害したのが発端で、高国と晴元との戦いが始まるのです。
高国方に属していた池田城を、晴元が討とうとした際、三宅氏や吹田氏も味方して、この吹田に陣を構えました。
しかし、高国方の伊勢神戸衆・伊丹衆らに攻められ、吹田氏は討死し、吹田城も廃城となるのです。
『参考文献を参照』
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