丹下城
大阪府松原市西大塚・羽曳野市南恵我之荘

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  近畿自動車、「松原IC」で降ります。 南の近鉄南大阪線「恵我ノ荘駅」の西南には大塚山古墳、そこが丹下城(たんげ)です。

2006年1月は大阪のお城。 ここも古墳を利用したお城なんだね。

 
 

周囲1kmの前方後円墳、円の部分には城主の館、方形部には家臣を配置しています。

日本でも10本の指に入る大きさ、雄略天皇陵と云われている、でも確定はされていないよ。

少し東、羽曳野市島泉の陵南の森には「雄略天皇陵」がある、ここは「大塚陵墓参考地」となっているよ。

 

 


鎌倉時代の初め、鎌倉からこの丹下郷に下向した佐々木高綱の子孫が丹下氏と名乗り居城しました。

建武四年(1337)、丹下八郎太郎は楠木氏に属しましたが、のち北朝方に味方して南朝方の攻撃を受け、翌年も南朝方の和田氏の攻撃を受けています。

天正三年(1575)、信長の河内国の城郭破却令により、丹下氏は退却、丹下城も壊されました。

『参考文献を参照』

 

  
大塚山古墳
  「大塚山古墳」

堀を渡る道があるんだね、今まで舟だと思っていたけど、初めて知ったよ。

全国には、お城に利用された古墳は16、もちろん古墳が多い大阪には8つあります。

古墳を利用した理由はよく分からないけど、姫路城や安土城にも石棺の石が利用されている、いかに早く造ることを優先した時代なのかな。
 
丹比柴籬神社(しばがき)
  「丹比柴籬神社(しばがき)」

大塚古墳から西の松原市上田町にあります。

仁徳天皇の皇子、第18代・反正天皇は都を難波から河内の丹比に移したのが「丹比宮」、この地と云われています。

古代とお城、単純に二つを並べてみたけど、千年も差があるんだね。

現在と西暦3000年、日本で並べられるものがあるかな、千年後の古墳、堀に浮かぶ水鳥も写っているんだね。
 

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