鎌倉初期、当地の土豪・小槻氏は近江守護・佐々木定綱の五男である馬淵定広の四男・基綱の養子になって青地氏を名乗ります。 子の忠綱がこの地に青地城を築き、初代城主となりました。 この忠綱の子・冬綱は佐々木七騎の一人として守護代となっています。 天正元年(1573)、六角氏が信長に滅ばされると、青地城も廃城となり、青地高直は城を出て加賀前田氏を頼り、のち秀次に仕えています。 『参考文献を参照』