九世紀末から十世紀初頭、伊吹山寺の開基にたずさわった僧三修(そうさんしゅう)が開基したと云われています。 でも、久徳実時が六角氏と通じた為、浅井氏や信長によって滅ぼされていくんだね。
室町時代、湖東の一大寺院と化した敏満寺は、守護・佐々木氏や京極氏と対立するようになりました。 応仁の乱以降は、僧兵を動員、寺を要塞化して軍事拠点となるのです。 永禄5年(1562)、浅井長政の攻撃を受けた久徳氏に味方したため、長政の攻撃を受け当時120以上あった坊舎は焼失しています。 元亀3年(1572)、織田信長の命に応じなかったことから、残りの坊舎もことごとく焼かれ、寺領も取り上げられ衰退していくのです。 『現地案内を参照』