佐々木信綱は四人の息子に近江を分けて継がせます。
長男・重綱が坂田郡大原荘、次男・高信が高島郡田中郷、三男・泰綱が宗家と江南に在る神崎、蒲生、野洲、栗太、甲賀、滋賀の六郡、四男・氏信が江北に在る高島、伊香、浅井、坂田、犬上、愛智の六郡を継ぎました。
この三男・泰綱が宗家として、六角氏を名乗り、四男・氏信が京の京極高辻の館を継いだので京極氏を名乗ります。
同族である京極氏と六角氏は、室町時代以降敵対し、近江の覇権をめぐって争います。
応仁の乱の時、京極氏と六角氏がこの地で戦い、六角氏の再興の戦いでは籠城するも、落城するのです。
『参考文献を参照』
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