柏原御殿
滋賀県米原市柏原

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  名神高速道路「米原IC」から国道21号線を東、関ヶ原の方へ走ります。

津島神社前の信号を北側へ入ると中山道と交差する道沿いには、柏原御殿(かしわばら)がありました。

2010年、関ヶ原に近い近江。  中山道はどこから始まるのかな。

 
 

街並がきれい、どこなのかな、通り過ぎています。

戻り、地図らしき案内がある。

館跡の説明、ここなんだと思うほど目の前。

近くの勝専寺の門が御門と云われている、見るの忘れたよ。

街道を歩く、中山道は京都三条大橋から江戸日本橋までだよ。

 

 


江戸時代の初め、将軍上洛下向(京都・江戸間の通行)の際の宿泊・休憩の目的で、街道の各所に設けられた館で、近江では、柏原御殿と野洲の永原御殿、水口の水口御殿を合わせて「近江三御殿」と称されてきました。

天正十六年(1588)、家康が上洛の際、当地の西村家で休息。 以後、中山道通過の際の恒例となっていたが、通過が頻繁になったため、元和九年(1623)、二代将軍秀忠が殿舎を新築、以後御殿番を置いて守備してきました。

その後、徳川幕府の勢力増大につれ将軍上洛は減少、元禄二年(1689)ついに当地御茶御殿は廃止されるのです。

家康の頃から約百年、殿舎建築から六十五年の歳月が流れ、この間、記録に残っているものだけで14回使用されていたのです。

『現地案内を参照』

 

  
 

井戸はどこ、石碑の後ろなんだね。

近くに北畠具行(ともゆき)のお墓がある、後醍醐天皇に従って鎌倉幕府討伐を実行しようとしたんだ。

でも幕府軍に捕まり、佐々木道誉により鎌倉に護送される途中、この地で斬られるんだよ。

一人で行けるかなぁ。

 

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