勝山城
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滋賀県長浜市東上坂町
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琵琶湖一周シリーズの23日目、琵琶湖の東、長浜〜虎姫までかな。
JR長浜駅から東の国道8号線へ、北へ歩いて川崎町から37号線をひたすら東、「東上坂町」あたりで北へ入ります。
500mほどで田んぼの向こうには山、ここには勝山城(かつやま)がありました。
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元は「岡山」といい、姉川の合戦の時、家康が陣を置いたんだ。
合戦に勝利、だから「勝山」となったんだね。 |
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この背後の山は、元来「岡山」というが、姉川合戦の時に家康が陣を敷き、戦を勝利したことにちなんで、「勝山」と呼ばれるようになったと云われています。
姉川合戦は、元亀元年(1570)6月28日、当地の戦国大名である浅井長政と越前の朝倉景健の連合軍と、信長・家康の連合軍との戦いです。
この年4月、信長が朝倉氏を攻めたのに対し、浅井氏が従来より同盟を結んでいた織田氏から離れ、朝倉氏に味方したことが合戦の原因となりました。
浅井軍は、浅井町野村付近に、朝倉軍は同町三田村付近に布陣し、対して、信長は龍ケ鼻の北西、家康軍はここから千草町にかけての地域に布陣したとみられます。
戦いは、浅井軍の捨身の攻撃で劣勢であった織田軍に、ここ勝山の麓に陣をおいた、家康が激戦の末に朝倉軍を敗走させ、織田・徳川軍を勝利へ導くことになり、ついには天正元年(1573)の小谷城落城へとつながっていきます。
さて江戸時代以来「流岡神社」が鎮座していましたが、明治41年に上坂神社(東上坂町)に合祀されています。 この「流岡神社」の社伝では、信長が戦勝祈願をしたと云われています。
境内の大杉の上部が枯れているのは、合戦のおり、両軍の矢が飛びかって枝を折ったためと云えられています。 また、上坂神社には、信長が鐘燈籠を寄進しています。
『現地案内を参照』
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姉川の古戦場のすぐ南、朝倉氏が陣を置いた三田村城とは丁度対峙する。
秀吉や家康、どこに行っても関係しているんだよ、すごい行動範囲。
国を越え、戦っている武将が勝っている、待ってたらだめなんだよね。 |
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