山内宗綱が城主の時、越前の朝倉貞景と戦った人物らしい。 朝倉貞景は朝倉義景の祖父だった人物だよ。
寿永3年(1184)、山内義重は『粟津の合戦』で木曽義仲が敗死した時、その功績で衣川の地に築城しています。 この義重は、山内経通から三代後で、のち重包、長重、正重、勝重、重成、俊重、俊光、重益、経重、宗綱、重清と続きます。 室町時代、十一代・山内宗綱は京極高清や浅井亮政らに従い、永正8年(1511)には京都舟岡山で、将軍・足利義植を擁する細川高国・大内義興らと戦っていました。 大永6年(1526)、衣川城は細川高国の攻撃を受け、宗綱の弟・宗重は切腹するのです。 『参考文献を参照』