長享元年(1487)、将軍・足利義尚は坂本に出陣すると、六角高頼は観音寺城をはじめ、八幡城や金剛寺城を捨て、甲賀へ敗走します。
将軍義尚は、鈎の陣(まがりのじん:栗東市栗東町)に移ると、高頼は更に甲賀の奥深くへと逃れました。
延徳元年(1489)、三年の間、鈎の陣で過ごした義尚は、病にかかり世を去るのです。
六角高頼は再び、近江守護になるも、将軍義植の立腹にあい、簗瀬河原の戦いをへて再び甲賀へ籠もりました。
しかし、伊勢から北畠軍の攻撃を受け、高頼は行方をくらますのです。
『城郭総合辞典 滋賀の城郭』より
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