湖東の支配権を手中に収めた六角高頼、しかし未だ守護職は六角政堯の一族・虎夜叉丸でした。
また山門勢力も、幕府に高頼征討を願うと、高頼は戦いを余儀なくされ、同時に守護職は虎夜叉丸から京極政高となるのです。
文明七年(1475)、多賀高忠は出雲の国人を集め、山門と幕府の支援により、高頼と対戦、高頼は一時敗れるのですが、西軍の土岐・斯波両軍の支援で戦勝します。
そして高頼は近江守護職に返り咲くのですが、湖北四郡は京極高清が守護となるのです。
しかし高頼の荘園押領と、守護代・多賀氏の内紛が原因で近江は乱れ、ついに将軍・足利義尚は近江征討に出陣するのです。
『城郭総合辞典 滋賀の城郭』より
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