鎌倉末期から南北朝時代(1300-50)の頃、隣村平居城主・平井氏の分家として、平井実次の嫡男・実清が創設しています。
千代之里に居館を構え、元興寺領など荘園の管理に当たり、自らも農業を営み農民の代表的役割も努めていました。
応仁の乱(1467-74)の後、下克上の世となり、文明十二年(1480)頃、栗田六郎は、居館の周囲を土塁、堀、柵で囲い、藪地で覆い、戦える体制を整え、築城に及みました。
永禄十一年(1568)、城主栗田秀元始め栗田氏一族は、主家佐々木氏に従い信長との戦いに敗れ、義に殉じて栗田城は破砕されるのです。
『現地案内を参照』
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