寛永6年(1465)、足利義政と日野富子の長男としてに生まれのが義尚、文明5年(1473)には将軍に就任しています。 応仁の乱で諸国が乱れ、将軍の権威が失墜する中での就任でした。 この乱で、近江守護・六角高頼は西軍山名宗全に付き、乱後は戦国大名として勢力を持ち公家・神社・奉公衆(将軍直轄軍)領を侵略し始めます。 長享元年、足利義尚は高頼征伐のため、細川政元・武田国信・富樫政親らを率いて出陣、構えたのが鈎陣屋です。(長享・延徳の乱) 『参考文献を参照』