雄琴城
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滋賀県大津市雄琴
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京都山科、長い路線トンネルを抜ける、ここは琵琶湖。
琵琶湖一周シリーズの2日目、坂本〜雄琴〜堅田まで歩くよ。
JR雄琴駅の前に史跡案内がある、東へ歩き、国道161手前の道を南へすぐ。 雄琴神社の参道、福領寺手前を左へ上ると、雄琴城(おごと)があるんだね。
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柚子の里、雄琴。
和田秀純のお城、でも延宝四年(1676)の山崩れで埋没したらしいよ。 |
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天文7年(1538)、雄琴の土豪・和田氏は小塚山の砦からこの地に移りました。
永禄9年(1566)、和田秀純は六角義秀から旗頭に任命された時、雄琴城を賜ったとも云われています。
元亀元年(1570)、信長と浅井長政・朝倉義景との戦いで、浅井勢が陣を置きました。
堅田城をめぐる信長勢と朝倉勢との合戦では、浅井・朝倉方に味方し、堅田城に籠った信長方の坂井政尚(まさひさ)を討つために参戦し、戦功をあげました。
元亀2年には信長方につき、光秀に従って叡山の焼き討ちに参加、しかし天正10年(1582)、光秀が山崎で討たれると、雄琴城も落城となるのです。
『参考文献を参照』
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雄琴神社の参道、福領寺手前を左へ上る、ここだと思うのだけど、郭らしき跡もある。
案内には「和田一族の墓地」の写真もあった。
でも「猿のおとり注意」とあったので、帰ることにしたよ。 |
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「仰木太鼓」
平安中期、源満仲が仰木に在在し、五基の神輿を氏神に献上、盛大な仰木祭を始めます。
祭りの進行役をするのが仰木太鼓、今では無形文化財だね。
源満仲といえば、どこかで聞いた。 国道を歩くと江戸城もある、大坂城も見えた、雄琴。
いったい、どこだっかかのなぁ。
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