一式城を西へ走ると大森陣屋、大きな石碑だよ。 周りは陣屋跡は特に無さそうだね。 でも山形の最上氏と関係がある、びっくりだよ。 東北の武将の登場なんて、めったにない探索だからね。
六角氏の重臣・布施氏から分家した大森布施氏の居館がありました。 関ヶ原の合戦の功績により、出羽山形城主・最上義光がこの地を領するのですが、元和三年(1617)、義光の孫・義俊が幼少で家督を継いだために、お家騒動が起こり、領地没収となるのです。 寛永八年(1631)、義俊は蒲生郡・愛知郡・甲賀郡、三河国に一万石を与えられ構えたのが大森陣屋です。 しかし嗣子・義智がわずか一歳であったために、知行地を蒲生郡周辺に半減され、五千石の交代寄合となったために廃藩となるのです。 『参考文献を参照』