大津城
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滋賀県大津市浜大津
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姫路から阪神・名神高速を走り、琵琶湖の南端「大津IC」から国道161号線を北へ走ると琵琶湖のほとり。
2006年6月、湖霞む大津の小雨。 琵琶湖畔探索シリーズ、ここには大津城(おおつ)の石碑がありました。
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浜大津駅から北側、陸橋を渡った所、碑があるよ。
琵琶湖汽船の大津港が本丸跡、天守は五層四重だった。
光秀の坂本城から資材が運ばれ、多くの人々も大津に移ります。
でも大津城の資材は膳所城と彦根城に移されたんだね。 |
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浅野長吉が初代城主、のち増田長盛・新庄直頼・京極高次と変わります。
浅野長吉、増田長盛は豊臣政権の五大奉行、新庄直頼は茨木県は常陸国麻生藩主だよ。 京極氏は近江源氏佐々木氏を祖とし、足利尊氏に従った京極高氏(佐々木道誉)はよく知られているね。
慶長五年(1600)、関ケ原合戦の直前、京極高次軍と毛利元康(輝元の叔父)の戦いが始まった。 京極軍は火矢による炎上を防ぐために、大津の町を焼き払い、櫓の屋根もはがし籠城戦に備えました。
毛利軍は西方の長等山から大砲を撃ち、平地では激しく兵戦をくりひろげるのですが、高次軍は頑固に抵抗したのです。
しかし毛利軍は外堀を埋め、三の丸、二の丸へと進撃してきます。
高次軍は本丸で最後の抵抗を試みるのですが、木食応其(もくじきおうご)や新庄直忠が城に入り、和睦を勧めると大津城は落ちました。
しかし、毛利軍がこの大津城で釘付けとなり、関ケ原は東軍が勝利するのです。
『参考文献を参照』
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京阪「浜大津駅」から東南、JR大津駅へ歩く途中の石垣だよ。
旧橋本町の道標とバス停がある、中央市民センターの所かな。
浅野長吉はのち長政と名を変え、三男・長重が播州赤穂初代藩主、二代目・長友。
そして三代目が長矩(ながのり)、つまり浅野内匠頭だね。 |
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「大津事件記念碑」
京町二丁目だよ、街並みがきれいだね。
明治24年、ロシアのニコライ皇太子が琵琶湖を見学した時、警備の巡査がサーベルで切りつけた。
この事件で日本中は震え上がったんだよ。 |
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「天孫神社」
京町三丁目だよ、JR大津駅の北まで歩いてきた。
湖国三大祭りの一つ、大津祭が有名だよ。
豪華な曳山(ひきやま)が出され、コンチキチンの囃子と巧妙なからくりを演じながら巡行するんだ。
姫路ゆかた祭り、今年も機動隊が出て、情けなくて涙出るんやろうね。 |
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「大津港」
大津駅まで来ると、気合が入った沢山の人がバスに乗る、今日は「びわこ競艇」がある。
霞んで見えないけど、向こうは比叡山、手前の山は宇佐山城。
そこには大津宮、天智天皇や壬申の乱の話がある。
天智天皇、そう中大兄王子、蘇我氏を滅ぼし「大化の改新」を行った人だよ。 |
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