西の肥田城から歩いて10分ぐらい、城主は同族だった。 国道8号からストアの看板が見える道を東へ、こんもりした森の南の細い道だね。 探すのが大変だったよ。
愛智氏の支流である高野瀬氏は、鎌倉時代から愛知郡に住みました。 応仁・文明の乱で活躍し、京極氏に従って細川勝元に仕えています。 大永5年(1525)、佐々木定頼は江北の浅井亮政を攻めた時、伊庭城主・伊庭氏や岡山城主・九里氏と対立し、細川高国の援助を得ています。 しかし戦いは長びき、朝倉教景を介して浅井氏との調停を申し入れた時、佐々木定頼は高野瀬城に滞在し、軍備を整えたと云われています。 『参考文献を参照』