観応元年(1350)、甲賀の油日城で南朝方が挙兵、京極道誉の本拠地甲良庄を攻めました。
これに対して、幕府から近江守護・六角氏頼が向けられましたがこれに敗れています。
再び氏頼が向かわされ、守山の合戦では氏頼が勝ち、直義の恐怖から幕府は逃れています。
翌年、南朝と直義が組んで、再び京を攻めた時、京極道誉は尊氏に従い、六角氏頼は直義に味方したために佐々木氏が対立するのです。
一時、近江守護は京極道誉となるのですが、再度六角氏が守護となり、ついに応仁の乱へと突入していくのです。
『城郭総合辞典 滋賀の城郭』より
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