ここで佐々木道誉を勉強。
承久三年(1221)、後鳥羽上皇が鎌倉幕倒幕を企てた時、佐々木信綱も参加、信綱の四男・氏信が京極氏を名乗ります。
氏信・満信・宗氏・高氏と続き、この高氏が佐々木判官高氏、つまり佐々木道誉(京極道誉)なのです。
後醍醐天皇の綸旨を受け尊氏に従い、鎌倉の北条氏討伐では、北条仲時が東国へ退却中、近江番場の蓮華寺で一族432人とともに自刃をさせました。
建武の新政からは尊氏が開いた室町幕府の執事や、六ケ国(近江・飛騨・出雲・若狭・上総・摂津)の守護を兼ね、甲良町の勝楽寺に城を築いて本拠としたのです。
『城郭総合辞典 滋賀の城郭』より
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