浜田城
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島根県浜田市殿町
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JR山陰本線「浜田駅」から国道9号線を西へ、城山の交差点を過ぎて日本海側の山へ、その山頂には浜田城(はまだ)がありました。
2010年8月、暑すぎた夏休み、歩くのも暑すぎ。
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少し西には浜田川、対岸のスーパーから歩いてきた。
麓までわずかな距離、もう暑くて足が進まないよ。
三泊の夏休みの初日、全部行けるかなぁ。 |
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浜田城跡は別名亀山城とも呼ばれ、北の松原湾と南から西にかけて流れる浜田川によって囲まれた標高68mの独立丘陵上に築かれた平山城です。
元和5年(1619)に伊勢松坂から吉田重治が5万4千余石の藩主としてこの地に移り、元和6年(1620)2月に築城工事に着手、同年11月には地普請が終わり、元和9年(1623)5月には城および城下町が整ったようです。
本丸の北西隅には高さ14mの三重櫓の天守があり、二ノ丸には焔硝蔵、本丸常番所、時打番所などが配置され、中ノ門外の三ノ丸には御殿、諸役所、御用米蔵などがありました。
城下町は、城の周囲に武家屋敷を、浜田川以南に町家を設けています。
浜田城主は、吉田家(二代・30年)から、松平周防守家(五代・111年)、本多家(三代・11年)、再び松平周防守家(四代・68年)、そして松平右近将監家(四代・31年)と変わり、慶応2年(1866)7月に第二次長州征伐で自焼退城となり、その役割を終えたのです。
『現地案内を参照』
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元々は津和野藩庁の門。
広い神社の境内、歩くことでせいいっぱい。
柿本人麻呂の案内があった、ゆっくり見てたら、とけてしまうよ。 |
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すごい石垣が続くよ。
スペインの宣教師ディエゴ・デ・Sは船上から「立派な城である」と報告している。
暑いがうれしい。 |
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山頂だよ、海が夏色だね。
三重櫓、実質的な天守が建っていたらしい。
1866年、第二次長州戦争(石州口の戦い)で、大村益次郎の長州軍に幕府軍が敗れ、浜田藩は自焼退城となったんだね。
司馬遼太郎も見たのかな。
暑いから、退散だよ。 |
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