秋月城
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徳島県阿波市土成町秋月
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徳島自動車道、「土成IC」から国道318号線を南へ、12号線を西へ走ります。
3kmほどで北側の山麓には、秋月城(あきづき)があります。
2005年8月、南北朝時代の阿波の国。 もっと速く走りたい、ゆっくり歩いてみたい、真夏の地図を持っていきたいね。
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古くから秋月郷と呼ばれ、土豪秋月氏が居館を構えていました。
南北朝時代、尊氏は家臣・細川和氏をこの地に入れます。
それから阿波・讃岐の細川氏、管領・細川氏、応仁の乱の勝元、複雑な話の細川氏へとつながっていくんだね。 |
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この地は古代秋月郷と呼ばれ、土豪・秋月氏がここに居館を構えました。 文永年間、守護小笠原氏から世継ぎを迎えたと云われています。
細川阿波守和氏らは、秋月氏に迎えられ、秋月に居館を構え四国全域に号令、四国菅領として大きな勢力を誇っていました。
秋月城は、南北朝から室町時代にかけて、細川氏の拠点で、細川詮春が勝瑞城に移った後、秋月中司大輔(森飛騨守)が守ったと伝えられています。
天正七年(1579)、土佐の長曾我部軍の兵火にあって落城したといわれています。
この城跡の周辺には、秋月城の名残りとして、御原の泉、的場の跡、竈(かまど)跡等が残っています
『現地案内を参照』
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「秋月城主代々の墓所」
四国八十八ケ所の第九番・法輪寺と第十番・切幡寺の中間ぐらいにあります。
前の細い道、白衣を着た若者が駆け抜けていったよ。
地図で見る八十八ケ所、どの橋、どの道、全部で何日、とか考えてしまうよ。 |
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細川和氏は金閣寺、銀閣寺などを開山した夢窓礎石と親しく、秋月城下にも礎石が開いた補陀寺(のち安国寺)や、頼之が建立した宝冠寺がありました。
安国寺の経蔵跡(輪蔵庵本堂)の下から瓦などが出土し、その正面には小さな五輪塔があります。
そこは細川和氏の墓と云われている、でも駆け抜けてしまったよ。 |
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「尊氏が九州へ逃れた時、重臣・細川氏を四国へ配置させた」
兵庫県のお城では、何回も書いてきた。
もう少し西、それとも東。
細川氏の館跡はどのあたり、でも分からなくてもいいんだよ。 |
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南の吉野川あたり、地図では分からない風景だよ。
立ち止まる自分、何に向かっているのか、分からない時もある。
まだ見ぬ地図の道、同じ行く人が見えた時、「どの橋、どの道、何のため」、迷う気持ちは癒されるのかな。
ゆっくり歩いて行くよ、少し迷っても、向日葵の小道は夏だけの地図だからね。 |
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