法勝寺城
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鳥取県西伯郡南部町鴨部
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米子自動車道の最終「米子IC」から9号線を西へ、山陰道「米子西IC」から180号線を南へ走ります。
法勝寺の町役場あたりで、川を西側へ渡ると法勝寺公園、ここが法勝寺城(ほうしょうじ)になります。
2008年11月、秋色が似合う鳥取。 春、桜がいっぱいのお城なんだね。
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三村家親といえば、備中松山城主で宇喜多直家と対抗し、最後は美作の興善寺にて、鉄砲で暗殺された人物だよね。
暗殺されたのが、永禄九年だから二年前に築いたんだ。
でも、その頃は備前や美作での戦いで忙しいよね、毛利本紹の説が正しいのかな。 |
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永禄7年(1564)、毛利氏により築かれ、吉川元春の家臣・三村家親が城主になりました。 家親は、尼子方の八橋城を攻略し、城将吉田源四郎らを敗走させました。
一説によると、法勝寺城には毛利遠江守本紹が城主になりましたが、尼子遺臣の山中鹿之助により攻められ落城し、本紹は自刃し果てました。
中世特有の典型的な山城で、本丸、二の丸で構成され土塁や空堀が残っています。 今では城山公園として整備され、桜の名所になっています。
『現地案内を参照』
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川を渡り、お城の東側。
大きな石碑の所から上る、少し草中を通り抜ける所が堀かな、車が通れそうな普通の道に出る。
ぐるりと回って、山頂への道がある。
二の丸、更に上は本丸へと、土塁や真ん中には一本の木。
やっぱりお城は、この雰囲気が一番だよね。 |
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尾崎寺城主・毛利本紹を祀るお墓、後ろに沢山の五輪塔があるね。
一説によると、法勝寺城には毛利遠江守本紹が城主となる。
でも尼子遺臣の山中鹿之助により攻められて落城。
十九歳の本紹は自刃したと云われているよ。 |
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