天神山城
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鳥取県鳥取市湖山町南
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姫路から国道29号線を鳥取方面へ、鳥取市街の南側で千代川を渡り、「国体道路交差点」から21号線を西へ走ります。 湖山池手前から264号線を北上すると、700mほどで農業高校があります。
この高校の敷地内には、標高15mの天神山城(てんじんやま)があります。
2004年8月、学生は夏休み。 でも「全国六分の一殿」と言われた山名宗全の子孫達には夏休みは無いみたいだね。
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ここには三層の天守がありました。
昭和47年、農業高校を建てる前の発掘調査では、火災で焼けた木材の炭や焼土が見つかりました。
天文十七年(1543)、山名祐豊によって焼かれた跡が残っているんだね。
この山頂の岩も焼けてる様に見えるよ。 |
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この小山は、天神山と呼ばれ、室町時代の因幡守護・山名氏の居城である天神山城がありました。
江戸時代の地誌「因幡誌」には、文正元年(1466)、山名勝豊により築城されたと書かれています。
築城の経緯は不明な点もありますが、天神山城は山名豊国が、天正元年(1573)鳥取城に本拠を移すまで、15世紀後半から約100年にわたって、因幡国支配の政治的拠点にありました。
天神山城は、かつて内堀、外堀を備えており、内堀は天神山を囲んで、南北400m、東西300mの長方形に掘られていました。
外堀は、布勢卯山をも取りこみ、湖山池に通じる総延長2.6kmに及ぶもので、外堀の内側には城下町が形成されていたと考えられ、壮大な規模を誇る城郭でした。
発掘調査で土器・中国製の陶磁器・備前焼・古銭・下駄・曲物などがみつかっており、現在も井戸・櫓跡や濠の跡などが残っており、往時をしのばせています。
『現地案内を参照』
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「内堀」
自動車路の西側に駐車し、天神山を眺めていました。
城は学校の構内に見える小山、とりあえず一周することにしたよ。
ここは農業高校の南、昔の内掘だね。 南北400m、東西200mの長方形で、外堀は西のある湖山池にもつながっているらしい。
昔、この辺りは城下町が作られ因幡の中心だったんだ。 |
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「グランドから」
南から東、そして北側まで歩いた、けっこう距離があるよ。
あの山だけど、グランドの中。 ここから写真を撮って終わりかな。
と思わせるね。 |
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と考えていたら、入口発見。
なんと駐車した所のすぐ北側にあった、一周してきたんだね。 ほんと嬉しい配慮だよね。 |
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トントンと登るとすぐに山頂、広い平坦な所だよ、一の曲輪かな。
そして案内図には井戸がある、どこかな。 |
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「井戸」
それにしても大きな井戸だよ。
こんなにはっきりと分かる「井戸跡」は初めてだね。
でも意外と気づかない位置にあるよ。 |
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さらに南へ行くと大きな堀切。 きっと「堀切」だよね。
今までたくさん山城を見たから「堀切」だと思うのだけど、「堀切跡」と書いてないし。
普通の道路だったらどうしよう、来る前に勉強してきた方が良かったよ。 |
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「東屋」
「堀切かな」を越えると、また広い曲輪になっている、休憩する所だね。 でも草がいっぱいで入れなかった。
学校はシーンとしてるけど、ここが因幡・山名氏の本拠地。 もうそれだけで十分、とても嬉しいよ。 |
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「青島」
天神山城から2kmほど西の湖山池の青島、子供の遊びゾーンやキャンプ場があるよ。
沢山のお城を見てきたから分かるけど、ここもお城だと思う。
だって周りに内堀があるし、それに真ん中に大きな「堀切」が! |
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