打吹城
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鳥取県倉吉市仲ノ町
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鳥取市街の9号線を西へと走ります。 東郷湖を過ぎ179号線を南へ進むと倉吉の街、南の公園には標高206m(比高190m)の山頂に、打吹城(うつぶき)があります。
2005年7月の終わり、夏。 鳥取県の伯耆は初めて、でも真夏には全国から兵庫に来るんだよね。
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明治37年(1904)、大正天皇が皇太子時代に倉吉へ行幸された時に作られのが、打吹公園です。
何故、「打吹」と呼ばれたのかな、それは羽衣の昔話なんだよ。 |
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延元五年(1340)、後醍醐天皇の建武の新政が崩れた頃、山名時氏は因幡と伯耆の守護になり、 伯耆には田内城を築いて嫡男・師義を入れ、延文年間(1356-61)には田内城から打吹城へ移ってきました。
応仁の乱(1467-77)では、因幡の山名勝豊、伯耆の山名教之が西軍・山名宗全を援護し、対する出雲の京極持清が東軍・細川勝元に付くと、出雲では守護代・尼子氏が守り、それから山名氏との争いが始まるのです。
尼子氏が勢力を拡大するにつれ山名氏は衰え、伯耆では羽衣石城主・南条氏や尾高城主・行松氏らが力を持ちはじめました。
大永四年(1524)、ついに尼子経久は伯耆へ侵入し、米子城・淀江城・天満城・尾崎城・不動ケ嶽城を落とし、更に堤城・岩倉城・羽衣石城、そして打吹城主・山名澄之も城を追われるのです。(大永の五月崩れ)
尼子氏に追われた諸将たちは、毛利氏の援助でお城を取り戻すのですが、その時から毛利氏に従うことになりました。
永禄九年(1566)、尼子氏の月山富田城は七年間の籠城ののち、ついに毛利勢に落とされ、出雲には吉川元春が入ります。
天正八年(1580)、秀吉は播磨三木城を落とし、但馬の山名氏の此隅山城をも落として、因幡へと進攻し鹿野城に亀井茲矩を置くと、対する吉川元春は打吹城へ入りました。
天正九年(1581)、元春は秀吉に対抗する為、吉川経家を鳥取城へ入れるのですが、秀吉は「鳥取の渇殺」で攻め落とすと経家は切腹、翌年の備中高松城での「水攻め」で毛利氏と秀吉は和睦、のち打吹城は羽衣石城主・南条氏の支配下におかれました。
慶長五年(1600)、関ケ原の合戦後、中村一忠が伯耆国主になり、打吹城には入番を置いていたのですが、一忠の病没後は幕府直轄地になりました。
元和元年(1615)、一国一城令によって、伯耆国は米子城のみを残し、この打吹城も取り壊されるのです。
『参考文献を参照』
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「土蔵群」
夏の甲子園、鳥取予選が近くで行われていたのかな、駐車場はいっぱいだった。
遠くに置いて、街を歩くと白壁の蔵や寺小屋がある。
この玉川を境に、北側は職人の町、南側は商家の町だった倉吉。 |
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公園を入ると赤い橋、「羽衣池」がある。
農夫に羽衣をうばわれた天女が人間と夫婦になり、二人の子をもうけました。
その後、羽衣を探しだし、山麓の神坂の井戸から天に帰ってしまうのです。
二人の子供は悲しみ、天女が音楽を好んでいたことから、山上で鐘を打ち、笛を吹いたことから「打吹山」と呼ばれたんだよ。
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「展望台」
登り始めて10分ぐらい、ぐるりと西から南へ回っている。
そろそろかなと思う頃、中腹の展望台。
山田越中守がいたから、ここは「越中丸」という出丸らしい。
南条備前守の「備前丸」、小鴨元清の「小鴨丸」もあるよ。 |
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「本丸」
展望台から「備前丸」を通り、やっと山頂。
東西68m、南北36mの広さ、一段高くなった天守台がある。
夏の音、野球の試合、歓声が小さく聞こえるよ。
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「堀」
天守台を見てから、素直に元に帰ろう。
でも反対側へ降りる道、「武者溜・博物館」の案内がある。
ここは伯耆、少しだけ見てみる。
長い堀跡が続く、広い郭には窪んだ所、井戸かな。 |
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「石積み」
後ろの本丸を見上げると石積み。
いつもは帰って資料を見てから後悔するが、ここは鳥取。
もう来れないかもしれないからね。
武者溜を見るのを忘れ、元の長い道を降りるよ。 |
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「大江神社」
公園に下りてきた、神社があるよ。
119代・光格天皇の生母、大江磐代君(おおえいわしろのきみ)を祀っています。
磐代君は倉吉市の医師の家で生まれ、閑院宮家に仕えた女性です。
近くに勝入寺がある、伊木忠貞が播磨の三木から移し、池田氏の祖・勝入斎信輝の菩提を弔うために建立したお寺です。 見るのを忘れているよ。 |
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「倉吉」
元和三年(1617)、因幡と伯耆は池田光政に領有され、重臣・伊木忠貞によって城下町から宿場町へと変わっていった。
車で南へ走る、間もなく大雨洪水警報、激しい雨の音。
ラジオから流れていた鳥取県地方大会、山を越えると聞こえない。
結果はどうなったのかな、夏の倉吉、甲子園で会えるかな。 |
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