日方江城
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富山県富山市日方江
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JR北陸本線は富山駅から北へ向う、次の東富山駅から富山湾に向かって走ると、集落の中には日方江城(ひがたえ)がありました。
2009年10月、初めての富山探索。 上杉景勝も関係していたんだね。
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富山城の東、新庄城は道がせまく、あきらめた。
やってきたのは了照寺、ここがお城だよ。
江上重左衛門が城主、でも一時は上杉景勝の家臣・寺島民部左衛門が入っていたらしいよ。 |
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この城は、安土桃山時代の天正年間(1573-91)以前に、大村城の出城として成立したと云われています。
轡田(くつわだ)豊後守の居城と伝える大村城の東400mに位置し、轡田家の家老、あるいは江上重左衛門(萬十郎)の居城であったとされています。
西は窪田川、東は琵琶川の沼地、北は海と天然の要害に囲まれ、浜街道の要所にありました。
浄土真宗・了照寺境内を中心に、南北約80m、東西約70mが城跡とされ、境内の南側にかけて高い土塁と空堀が残り、寺の南側に空堀と郭、東側に土塁と空堀、富山学園南側に空堀などが残り、築山割・築山畑割・屋敷割など城に関する小字も多い残ります
北方の天神社境内には、上杉謙信が大村城の動静をうかがうために作った「そうけ塚」また南方には、兵が馬の足を洗ったことに由来する「馬橋」などの伝承地があります。。
『現地案内を参照』
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ここから北の北陸街道には、上杉謙信が大村城を攻めた時に、村人に命じて「そうけ一杯銭何文」と金を与え、土砂を運ばせ築いたと云われる「そうけ塚」があります。
今では天神神社、謙信はこの丘から大村城をにらんだと云われています。
後で知ったよ、おしかったよね。 |
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