大峪城
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富山県富山市五福
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JR北陸本線は富山駅の南には富山城、44号線を西へ走り、神通川を渡り、五福交差点から59号線へ入ります。
富山大学を過ぎると、五福小学校、ここが大峪城(おおがけ)だったんだ。
2009年10月、初めての富山探索。 秀吉が佐々成政を攻めた時のお城だよ。
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富山大学を横目、すぐに過ぎてしまうよ。
戻って小学校の入口、うまく案内を見せてくれてる。
富山城の佐々成政を攻めた時の、秀吉方のお城なんだ。
しかし秀吉は範囲が広い広い、車でも真似できないよね。 |
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この城は、秀吉が富山城の佐々成政を攻めた天正十三年(1585)の頃のものです。 秀吉側の軍勢が陣地としていた白鳥城の出城として、安田城とともに築城されました。
前田利家の家臣・片山伊賀守延高が城を守っていたので、「伊賀城」とも呼ばれていました。
文化九年(1812)、測量を行った富山藩士渋谷孝本・安達直章らの記録によれば、城の構造は本丸とその東にある二の丸、これらを取り巻く総曲輪からなり、南側を流れる井田川から水を取り組んで、周囲に堀をめぐらしていたことがわかります。
平成元年の五福小学校東側の発掘調査で、最大幅十四m、最深約3.5mの堀跡と本丸へ続く土橋が確認されました。 現在、五福小学校校舎のある高台が本丸跡と推定されています。
「城割」 「城ノ下割」 「西ノ輪割」などの小字名が城の名残りを示しています。 また「大工町」の小字名から周囲に城下町の存在が推定されます。
『現地案内を参照』
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小学校校舎のある、高台が本丸跡と推定されているね。
高台の方は行きにくいから、得意Uターンで次は安田城かな。 |
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