富山城
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富山県富山市本丸
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JR北陸本線、富山駅の南には、富山城(とやま)がありました。
2009年10月、初めての富山。 越中富山のお城、やっぱりここに来るよね。
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朝まで加賀の金沢城、ひたすら北陸自動車道を走る。
いきなり富山城、これも「利家とまつ」の影響なんだ。
神保氏時代、佐々成政時代、前田氏時代と幾度も壊れては姿を変える。
今では「富山城ものがたり」、訪れる人たちを楽しませてくれてるよ。 |
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越中国守護職・畠山氏は河内国にあったため、越中西部は守護代の守山城主・神保氏が、東部は守護代の椎名氏が勢力を持っていました。
天文十二年(1543)、神保氏は家臣・水越勝重に命じて神通川の東へ進出し砦を築くと、椎名氏との抗争となりました。
のち築いた砦が前線基地となり、神保長職が城主になったのが富山城の始まりです。
元亀二年(1571)、越後の上杉謙信は、神保氏や椎名氏に代わり、富山城の東、新庄城に鰺坂長実を入れました。
元亀三年(1572)、加賀・越中の一向一揆が富山城に攻め寄せ、上杉方を破り富山城を占拠しています。
天正元年(1573)、一旦は和議を結んだ一揆勢は、叛旗を翻したので、謙信はこれを討ち破り、富山城には長尾伊勢守を入れました。
謙信が世を去ると、信長は越中に進出し富山城を陥れると、天正九年(1581)には佐々成政を富山城に入りました。
信長が光秀に討たれ、柴田勝家が秀吉との戦いで自害すると、佐々成政は家康と結び加賀の前田利家と戦う運命となるのです。
そして冬、成政らは家康の浜松へ向かうため、立山のザラ峠を越え行くのです。(さらさら越え)
『参考文献を参照』
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郷土博物館、すごく良い。
きれい、親切、展示物がじっくり見れて説明も良く分かる。
エレベータは地下駐車場まで行くのかな、と思ったほど良くできているよ。
大学時代、キャンプ部の先輩が神保氏、いつも車で福井県武生まで帰っていたけど、関係あるのかな。 |
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「何事も かわりはてたる世の中に 知らでや雪の白くふるらん」
成政の句。 ザラ峠を越えて行く、信念と迷いの歩み。
ただ世の中だけは、知らぬ間に変わっていく、それもこれも運命なのか。
というような意味かな。 考えたら後世に残せるのは、人の運命でなく信念かもしれないね。 |
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