萩城
山口県萩市堀内

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  新幹線新山口駅からバスで北へ走る。 東萩駅で降りる、とにかく西へ歩くと古き史蹟の熱風、街の西には指月山、ここには萩城(はぎ)がありました。

城と旅シリーズ、2007年8月は 「山口への旅」だよ。 暑い暑い。

 
  指月城(しづき)とも呼ばれる。

山には登らなかったけど、指月山には山城があるらしい。

萩の街、沢山の史蹟、二日間でゆっくり回るといいよ。
 

 


慶長五年(1600)、関ケ原の戦いで敗れた毛利輝元は、中国八か国の領地を削られ、家康から防府・長門二か国の領主に封じられました。

のち秀就・綱広・吉就・吉広・吉元・宗広・重就・治親・斉房・斉熙・斉元・斉広と続きます。

文久三年(1863)、輝元から十四代・敬親は萩城が日本海に近く、攘夷に際し不利であることから、山口城へ移ります。

萩城はしだいに政治的重要度を失い、建物は全て解体されたのです。

『参考文献を参照』

 

  
 

「天守の石垣」

いろんな書物に、石垣の上に五層の天守閣がのった写真がある。

明治にドイツ語教師として滞在していたビルレン氏が撮影されたらしい。

すごく立派な天守閣だよ、写真が残っていてよかったよね。

 
  関ケ原で敗れた毛利氏、築城の候補地は3つあった。

瀬戸内に面した桑山、山口市の高嶺、そしてこの地。

でも徳川幕府が許したのが、一番奥の地だった。

幕末、明治維新を迎える大きな力が育つ地でもあったんだよね。