岩国城
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山口県岩国市横山
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新幹線新岩国駅から島耕作バスで東へ走る。 錦帯橋前で降りると橋の向こう、標高200mの山頂には岩国城(いわくに)が見えました。
城と旅シリーズ、2007年8月は 「山口への旅」。
日本三名橋「錦帯橋」、流れる水は錦川、久しぶりの山城だよ。
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見上げる山頂には岩国城、南の山麓は館があるんだ。
ここは吉川氏の岩国藩、でも藩は幕末まで大名になれなかったんだよ。
ロープウェイは無理、横から上るんだ。 |
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毛利元就の孫、吉川元春の三男・広家が吉川家を継ぎました。
慶長五年(1600)、関ケ原で敗れた毛利氏は周防・長門の二か国に削封され、日本海側の萩城を本拠に、長府・徳山・清末そして岩国に分家を置くのです。
広家も出雲国富田城から、この地に移り岩国城を築いて、岩国初代藩主となりました。
しかし元和元年(1615)、一国一城令により岩国城は取り壊されるのです。
『参考文献を参照』
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「天守台」
現在の天守閣の後ろにある石垣、密度がすごいよ。
毛利氏は西軍に属した、でも吉川広家の計らいで中国八ケ国を安堵するとの密約を徳川氏との間でかわし、関ケ原では本気で戦う姿勢を見せなかった。
合戦が終わる、でも毛利氏は二ヶ国しか残らなかった。
以来、毛利氏と吉川氏との間に溝ができ、岩国だけが藩として認められなかったんだ。
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館の所が吉香公園、 佐々木小次郎の姿もある。
吉川英治「宮本武蔵」では、岩国の生まれ、作者の名も気になるよ。
代々藩主の吉川家墓所、シロヘビ、屋敷跡など沢山見る所がある。
錦帯橋、幾度も振り返ると写真、相似形の風景が小さく広がり、山口の旅は終わるのです。 |
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