大内氏館
山口県山口市大殿大路

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新幹線新山口駅から山口線で北へ走る。 山口駅で降りる、とにかく北へ歩いて20分、県庁の山口城から東へ歩く、龍福寺のところが大内館(おおうち)だね。

城と旅シリーズ、2007年8月は 「山口への旅」。 西への旅、やっと大内氏が登場してきたよ。

 
  西の京都と呼ばれた山口、やっと来たよ大内氏。

ここは龍福寺、毛利隆元が大内義隆追善のために建立したんだ。

山門の東側、竹薮の中に土塁の一部が残っているらしいよ。
 

 
大内氏は歴代政庁をこの地に置き、西日本に覇をはっていましたが、後には防・長・芸・備・豊後・筑の七か国の守護を兼ね、その富と権力は天下に並ぶべきものはありませんでした。

当時、世の中は兵乱にあけくれていましたが、山口の町は平和を保っていたので、戦乱の都をさけて、この山口に来る公卿・文人が多くあり、いわゆる西の都の繁栄がありました。

大内氏はこれら来訪の客をもてなすため、邸前に宏大壮麗な築庭をします。

そこには流水があり、また当時珍しい蘇鉄が植えられたりしたが、使用した岩は全部豊後の国から舟でもってきたものでした。

しかしこれらの岩は、豊後を恋しがって雨の夜は「豊後に帰りたい」といって泣いていたといいう。

そのような立派な庭も大内氏の滅亡後は荒廃して、わずか豊後岩だけがここに残り、往時の栄えの跡をしのばせています。

『現地案内を参照』

 

  
 

「史跡公園」

お寺の東には庭園跡、ここは西、お墓があるよ。

まだ整備中なのかな、北の隅には庭園もあったけど。

しかし暑いな、早く商店街アーケードに戻りたい。

こんなに商店街が恋しく思ったことはない。

 
 
  「大内義隆」

境内には義隆供養塔、時世の歌碑、豊後の国を恋しがった「豊後岩」などがあるよ。

案内放送が分かりやすくて、すごくいいね。

姫路から西へ、宇喜多氏、毛利氏、尼子氏など沢山の歴史を見てきました。

やっと大内氏に出会えたね、今から北へバス、日本海まで行くよ。