内郭の南辺には、紫宸殿(ししんでん)、仁寿殿(じじゅうでん)、清涼殿などハレの場があり、北辺には弘徽殿(こきでん)、飛香舎(ひぎょうしゃ:藤壺)、淑景舎(しげいしゃ:桐壺)といった七殿五舎からなる後宮が存在し、それぞれの建物は回廊や透渡廊(すきわたろう)で繋がり、雅な宮廷生活が繰り広げられ、「源氏物語」の中心舞台でした。
初焼亡は村上天皇の天徳4年(960)ですが、里内裏が用いられたのは、16年後の2度目の火事の時であり、歴史から姿を消すのは安貞元年(1227)の焼亡だったのです。
『現地案内を参照』
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