源融河原院跡(みなもとのとおる)
京都府京都市下京区都市町141-7
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  この付近には、嵯峨天皇皇子で『源氏物語』の主人公 光源氏のモデルの一人とされる平安時代前期の左大臣 源融(822−895)の邸宅 河原院がありました。

東西は現在地から柳馬場通まで、南北は現五条通から六条通(一説に正面通)に及ぶ広大な敷地を有し、平安京屈指の大邸宅でありました。
  
邸内には陸奥塩釜の風景を写した庭園を造り、難波の浦から運んだ海水で塩焼きをしては、その眺めを楽しんだと云われています。

河原町五条の西側に「塩竈町(しおがまちょう)」「本塩竈町」の町名があるのは、このことに由来し、また、この榎の大樹が邸内にあった森の名残とも云われています。

河原院自体も、『源氏物語』で光源氏が自邸として造営した六条院に投影されており、作中では源氏が妻たちとともに住み、冷泉帝・朱雀院の行幸を得て栄達の極みを謳歌(おうか)する舞台となっているのです。

『現地案内を参照』


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