多聞寺
兵庫県加西市尾崎町288
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曹洞宗 祝融山 多聞寺は、黒田官兵衛二十四騎のひとり「後藤又兵衛」の菩提寺です。
後藤又兵衛基次と多聞寺との関係は非常に深く、大阪夏の陣、河内道明寺の戦いにおいて又兵衛が討ち死にした翌年の元和2年(1616)に、又兵衛の三男佐太郎(太郎正方)が父と兄を弔うために、尾崎村、岩本勘兵衛から土地の施しを受け、又兵衛の一周忌に合わせて多聞寺を建立しました。
又兵衛は官兵衛の子・長政とは折り合いが悪く、飛び出し、浪人の後、大阪城に入り、家康との決戦を挑むんだね。
又兵衛の菩提寺である多聞寺は、現在も又兵衛の真牌(位牌)を本堂に奉安しています。
『現地案内を参照』
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