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        永禄10年(1567)、月山富田城は毛利軍に攻撃され、尼子義久は降伏し尼子氏は滅亡しました。 
         
        鹿之介は信長を頼り、信長軍の下で尼子氏再興を目指します。 
         
        天正5年(1577)、信長は毛利氏攻めのため、秀吉を総大将として播磨に入り、高倉山に本陣を置き、赤松政範が守る上月城を包囲しました。 
         
        救援に駆け付けた宇喜多直家の軍を退け、上月城は落城し政範は自刃して果てます。 | 
       
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        秀吉は上月城を尼子勝久、山中鹿之介に守らせました。 
         
        天正6年(1578)、毛利軍は山陰、山陽の両道より三万の軍勢をもって上月城を包囲します。 
         
        秀吉は急ぎ救援のため、高倉山に陣を進めましたが、三木城攻略のため、高倉山から兵を引きました。 
         
        上月城は孤立し、遂に七月五日尼子勝久は降伏し開城、そして自刃します。 | 
        
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