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          永禄5年(1562)、毛利元就の出雲攻めにより、冨田城は孤立し、籠城戦となりました。 
         
        鹿之介は毛利勢の豪勇・品川大膳と富田川中洲で一騎打ちを行い、大膳を破ります。 
         
        しかし籠城による武器食糧が無くなり、戦意も喪失し、永禄9年(1566)尼子義久は元就からの和睦を受け入れ、冨田城は落城し、尼子氏は滅亡するのです。 | 
       
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        鹿之介は尼子勝久を大将に尼子家再興を誓います。 
         
        永禄12年(1569)、出雲地方をほぼ復帰させるも、毛利氏との布部山の戦いで勢力が衰え、織田信長を頼ります。 
         
        天正5年(1577)、秀吉の中国攻めでは先鋒を務めるのですが、播磨の上月城で毛利氏に敗れ、尼子勝久は自害、鹿之介は備中甲部川にて命を落とすのです。 
         
        『安木市観光ガイド&Wikipediaを参照』 | 
        
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