板垣退助遭難の地
岐阜県岐阜市大宮町
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  板垣退助は、武田信玄の重臣・板垣信方を祖とし、後藤象二郎・佐々木高行と土佐三伯の一人です。

戊辰戦争では、迅衝隊総督として土佐藩兵を率い、明治に入ると自由民権運動に身を投じます。

自由党を結成し、全国を遊説して回り、明治15年4月6日午後1時、岐阜でのことです。
 
  自由党総理板垣退助が中教院にて、演説を行う参会者百余名、夕刻、板垣総理すべてを終え、玄関から数歩出るや「国賊」と叫んで、相原尚けい(しょうけい)が総理の胸を刺しました。

総理は「板垣死すとも、自由は死せず」と有名な言葉を残したのがこの地なのです。

『現地案内を参照』
    
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