平野國臣・横田友次郎捕縛の地
兵庫県養父市八鹿町上網場
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  国道312号線から山陰本線を渡り東の集落へ、公民館手前で円山川の方角を見ると、石碑がありました。

文久3年(1863)、平野國臣ら尊王攘夷派が大和の天誅組に呼応し、七卿落ちの一人沢宣嘉(のぶよし)を擁して、生野代官所を占拠します。

しかし倒幕挙兵は失敗、2人は鳥取に向けて逃亡、城崎へ向かう途中、旅籠京屋で豊岡藩兵に捕縛されるのです。
 
  翌年1月には姫路、11日には京都六角獄舎へ移されました。

元治元年(1864)7月20日、禁門の変がおこり、その騒動のなかで平野國臣と横田友次郎は斬殺されるのです。

石碑には辞世の句
「見よや人嵐の庭のもみじ葉はいずれ一枚も散らずやはある」

『現地石碑、生野義挙史跡めぐり資料を参照』
    
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