生野義挙 志士最期の地
兵庫県宍粟市山崎町木ノ谷264
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兵庫県の幕末史跡1
文久3年(1863)10月、尊王攘夷派の志士・筑前藩士平野次郎、薩摩藩士美玉三平らが、先に長州へ都落ちした七郷の一人澤主水正宣嘉(のぶよし)を奉じて但馬の志士、農民を集め生野代官所を襲います。
しかし失敗に帰し、生野から逃れた美玉三平と中島太郎兵衛、黒田興一郎はここで追い詰められました。
美玉三平は漁師の銃弾に倒れ、中島太郎兵衛は自刃、黒田興一郎は京都六角獄舎に送られ獄中で病死するのです。
ここは山崎の街から北へ6kmぐらい、29号線沿いの美国神社です。
銀山で有名な生野はもう一つ東の国道312号線を少し北へ、但馬に行く途中、何気に越えた峠には、幕末志士の跡があるんだね。
『現地案内、朝来市 生野義挙史跡めぐり資料を参照』
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